しろくまごろー

ふわふわ雑記

住むところ

人は生きている以上、どこかに住んでいる。

住みたい街に住んでいる人もいれば、家庭の事情、仕事の都合、あるいは金銭の問題などで本心とは違うところに住んでいる人もいるだろう。

 

私は今住んでいる街は割と気に入っている。

日本でも有数の規模の飲み屋街と、再開発の進んだキレイなエリアが混在している。

加えて交通の要衝ということもあり、高い生活利便も入り交じり、まさにカオスの様相を示している。

私はアルコールにめっぽう弱い、というかまったくアルコールを受け付けない体質なのでこの街の売りである飲み屋街にはほとんど近づけないのだが。

 

そんな街のせいか、本当にいろんな人を見かける。

警察に囲まれて自分の正当性をひたすら主張する全身タトゥーの男、飲み屋街を通学のために普通に通る高校生、臆することなく堂々と買い物をするゲイカップル、何語かわからない言葉で盛り上がるポン引き、車から降りラブホテルに一人で消えていく女、必死で女性を飲みに誘う男...。

今まで住んでた街ではあまり見られなかった人や光景が当たり前のようにあることが私にとっては素晴らしく感じられる。

もっとも、必死にナンパをする男に関しては私も声をかけられ腕まで引っ張られて連れていかれかけたので勘弁してほしいが...。

 

街の様相とそこにいる人々の多様性はある程度比例するように感じる。

以前仕事で永田町に行く用事ができたのだが、そのときの私は髪が緑色でパーカーにジーンズと、到底社会人とは思えない見た目をしていた。

永田町に着いてみると、そこにいるのは男女ともにそのまま結婚式とか行っても大丈夫としか思えない見た目の人ばかり。

ボサボサの緑髪に3000円のパーカーを着ている女は場違いだと、全員が言っているような気持ちになった。

 

地下鉄の駅を出て地上に出るとどうだろう、どこまでも整った見た目のビル、ビル、ビル...。

まるで駅にいた人々のようだ。

私が入っても怒られないようなビルなどなかったし、一刻も早く帰りたかった。

 

仕事を終え、同僚とご飯でも食べて帰ろうと新橋方面を目指しながら飲み屋街に入った。

するとどうだろう、見た目こそさっきまでいた永田町のやつらと変わらないのに、みんなバカみたいに笑ったり、しょーもない話で延々と盛りあがったりしている。

「あ、この人たちも同じ人間なんだな」とその時感じた。

何が違うのかといえば、街が違う。

見た目こそ髪をしっかり整えてスーツやワンピースに身を包んでいるが、その本質は緑髪でパーカーの私となんら変わらないのだった。

 

人の個性を閉じ込めているのは、街だった。

人の中身を引き出しているのも、街だった。

 

多様性のある街は、人の個性を引きずり出してくれる。

抑圧された人間性をさらけ出しても、誰も気にしない。警察くらいだ。

 

だから私は今住んでいる街が好きだ。

もう緑髪ではないが、テキトーにしてても割ととけ込める。

 

住む街を選ぶということは、自分の感性を保ち磨くことにほかならないと思う。