しろくまごろー

ふわふわ雑記

休日に寝すぎる

休みの日についつい寝すぎてしまう。

昨日も朝の9時に起きたものの、朝ごはん兼昼ごはん(おしゃれな人たちが言うところのブランチ)を食べたのち、寝たり起きたりを繰り返しているうちに夜の18時になっていた。
これではいかんと思い、のそのそとベッドを出て顔を洗い、かんたんにメイクをして、サイフとスマホだけバッグに入れてなんとなく外に出た。

この頃急に冬らしくなって、分厚いセーターを着て出てきたものの、やっぱりどうしても寒く、陽の光に暖かさを求めたかったが、拝むことなく沈んでいった日曜日の太陽にそれを求めることもできないのであきらめた。

外に出ても特にすることもなく、なんとなく駅の方に向かい、雑貨屋さんで、あれがかわいい、これがかわいいなどと思うだけで、特に買うということもなく、外に出る。

寒い。

そういえば、サンリオのアグレッシブ烈子が広告に出ているDHCのサプリメントがあったなあなどと思い出し、調べてみると近くにショップがあったので行ってみた。

私は、日頃健康意識など皆無なくせに、なんとなく気になったサプリを買うくせがある。
アメリカのビタミンサプリを買ってみて、粒が大きすぎて飲めなくて続けるのをあきらめたり。
柄にもなく女子っぽい考えから、胸が大きくなるということがウリのサプリを買ってみて、数ヶ月後にがっかりしてみたり。

今回も、特に理由はないが、気になったので、そのサプリを買ってみることにした。
会計待ちをしている間、サンプルをくれるというので、乾燥する時期ですし、と、美白効果のある保湿クリームをもらった。
タダでもらえるものは結構なんでも嬉しい。

昨日はそれだけで休日を終えた。

私は無趣味だし、健康意識も低いので、こんなダラダラ寝てちゃいけない、とか、そういうことも思わないせいで、こうも一日を無駄にしてしまうのだろうなぁ。

なにもしないっていうのは、たぶん死んでるのとそんなに変わらなくて、それでいうと休日の私は19時間くらいは死んでるのと一緒だ。
結果として意味がないことでも、続けている間は、なにかをしているという実感があって、なんとなく生きてる感じがする。

買ったサプリを飲み始めてみて2日目、なにかちょっとでも変化があったらうれしいな…。

からあげと感想

私のおかあさんは、その昔「からあげ娘」と呼ばれてたくらいにはからあげが好きだったらしく、その娘である私もからあげが好きだ。
鶏肉に衣をつけて揚げる、肉・油・炭水化物というジャンクフードの極みみたいな存在だが、やっぱりおいしいのでついつい食べてしまう。

そんな私の家の近くに、チェーンのからあげ屋さんができた。
自家製のタレをたっぷりかけたからあげが自慢らしい。

たしかに私はからあげが好きだが、毎日食べないと気が済まないとか、別にそういうレベルではない。たまーに食べたいなと思うくらい。
そもそもからあげがきらい、という人はそんなにいないだろうし、要は私も普通くらいだ。普通くらいにからあげが好き。

なのでオープンの日にワクワクしてそのお店に行くとか、別にそういうこともなく、オープンしてしばらくしてからそのお店に行ってみた。

大きいからあげに特製の塩ダレがかかった、からあげ丼を食べてみたのだけど、まぁ、可もなく不可もなく、といった感じだった。
からあげはそもそもおいしいし、塩ダレというのもだいたいおいしい、白米もおいしいから、おいしいものをおいしいものに載せておいしいものをかけているわけで、まぁそりゃおいしいよね、という、なんともつまらない感想しか出てこなかった。

つまらない感想といえば、当たり障りのないコメントをすると、たまに「もっとなんかないの?」みたいなことをいう人がいる。
つまらないこと言ってる私も私だが、コメントをする対象になにかもっとあれば、コメントも変わる気がする。

もしこのからあげが信じられないくらいニンニクを効かせていたりしたら、「すごいニンニクがガツンときてすごかった」みたいな特徴を私だって言える。
感想自体はまさに小学生並みの感想だけれども…それでも「おいしい」以上のことは言える。

自分が出したなにかに対して当たり障りのないことを言われるっていうことは、その何かに特別惹かれるものがなかったとか、引っかかりがなかったとか、あるいはトガったコメントをしづらい人だとか、提示する側にも問題があるんじゃないかなあと思う。

そもそも興味なかった、みたいな話もあるかもだけど。
興味ない話をされて反応見られるときが一番困るよなあ…興味ないことに興味あるふりをするのはけっこうつらい。
他人事なら、「そんなもんどーでもいいだろ」とか言えるけど、自分ごとだと付き合いとか、人間関係とか、そういうリアルなところで人の話題を突き放すことは難しい。

鉄道

電車の型番がどうだとか、ダイヤがどうだとか、そういうことはあんまり興味はないけど、なんとなく鉄道がすきだ。
日本って狭いようで意外と広くて、稚内宗谷岬から鹿児島の佐多岬まで直線距離でも1,888kmあるらしい。
地球の外周が40,075kmなので、稚内から鹿児島までで地球の外周の4.7%くらいの長さがあるということになる。すごい。
家から駅までの1km弱歩くだけでもひーこら言ってる私からすれば途方も無い数字だ。

宗谷本線で稚内から旭川
函館本線旭川から函館
津軽海峡線で函館から青森(北海道新幹線の開通でなくなってしまったが)
東北本線で青森から東京
東海道本線で東京から神戸
山陽本線で神戸から門司
鹿児島本線で門司から鹿児島

と、在来線だけで稚内から鹿児島まで通じている。
北陸は、とか、四国は、とか、山陰は、とか色々あるがとりあえずこれで行ける。
新幹線の開通によって第三セクターに移行してしまった区間もいくつか存在するが、こういうすごい長い距離が鉄道でひとつなぎになっているというところにものすごいロマンというか、そういうものを感じる。

さいころは鉄道といえば男の子が好きなもの、といった感じで、いまの私からは想像もできないが、ぬいぐるみが好きだった小さな私は鉄道にはさして興味を示していなかったと思う。
大きくなって、18きっぷを使って貧乏旅行をしているうちに、いつの間にか周りと比較しときに鉄道には詳しくなっていたし、鉄道だけで日本中いろんなところに行けるということも知った。
自分が乗ってきた路線がどういうところを通ってどこまで通じているのか調べるのも楽しかったし、その路線に付随する歴史とか、そういうのも好きになった。
(それと同時に、危険だったり迷惑な行為をする鉄道オタクのことは嫌いになった。)

別に、鉄道は男の子の趣味とか、ぬいぐるみが女の子の趣味とか、いまは全く思わないし、そういう風に分ける意味も今となってはわからない。
私はカッコつけて生きたいなと思うし、男の人がかわいいもの好きでも別にいいと思うのだけれど。

ただ、それと同時に同性の友達は減ったように思う。
大きめのリュックに最低限の服と化粧品だけを入れてひたすら移動をする旅を続けていたのだが、こういうスタイルの旅行に賛同してくれる女子はやっぱり少ない。少ないだけでいるのだけど。
でもまぁ、私が勝手にそういうことやってるだけで付き合い悪くなっちゃうような関係はしょせんその程度だったってわけで、日本全国あっちこっち行った経験の方がずっといいものだと思う。

朝日の昇る山奥のすごくさみしい駅で、寒さに震えながら、東京では考えられないようなスパンでしかやってこない電車を待つ。
寒くて寒くて、ようやくやってきた電車に乗って、暖房の効いた車内に入った瞬間になんだかすごくホッとする。
機械であたたかくなった車内に入っただけなのだけど、なんだか人がいる感じがする。
東京を走る電車の1/5とか、あるいは1/10しかない車両にお客さんは私と数人だけ。
それでも、なんだかそこにいる人の濃度というか、感覚というか、温度というか、そういうものは東京の電車に乗っている時よりも濃い気がした。
東京では10両とか15両とかある電車にこれでもかという人が乗っていて、電車なんか来るだけでうんざりするし、それに乗らないと生活できないという現実にもうんざりする。乗ってもほっとなんかしないし、なんなら乗った瞬間にもう降りたい。
とても冷えた冬の日に、電車に乗るっていう行為が、場所が異なるだけでこうも違うのか。

そんなことを、急に寒くなった東京のど真ん中で思い出した。

デジタル痴漢にあった

最近、デジタル痴漢というものがはやっている。

代表的なものに、AppleのデバイスであるMaciPhone同士でかんたんにファイル共有ができるAirdropを悪用して卑猥な画像を送り付けるというものがあるのだとか。

 

私もiPhoneを使っているが、Airdropは必要なときにしかONにしないようにしているし、iPhoneにつけている名前では性別の判断がつかないのでAirdrop痴漢にあうことはないと思う。

 

しかし、デジタル痴漢はAirdropだけではなかった。

 

ついに私もデジタル痴漢に遭遇したのだ。

 

用事を済ませ帰宅しようと21時頃に家に向かって歩いていたところ、向こうから自転車に乗った男が走ってきた。

スマホをいじりながら自転車に乗っていて危ないな、と思っていたのだが、何かおかしい。

 

画面がこちらを向いていた。

 

何してんだこいつと思いながら歩き、距離が近づく。

すると男はスマホをよりこちらに近づけ見せてきた。

 

見てしまった私も私だが、その男はまさにデジタル痴漢オブデジタル痴漢。

 

パンパンにふくれあがったマツタケのようなsomethingが画面には映し出されていた。

somethingとか書いているが、それはもう完全にソレでアレ。

けっこうピンクだった。

ピンクのマツタケだった。

 

思わず体が固まり、なぜかガン見してしまったわけだが、男は何事もなかったかのようにすーっと走り去って行ってしまった。

 

私も2X年生きてきているので、別にマツタケを見るのが初めてとかそういうことはないのだが、いろいろな気持ちが湧いた。

 

「え、マジか」

 

「あれ(マツタケ)自分のかな」

 

「ていうかスマホiPhoneXsMaxじゃなかった?」

 

「デカデカと映すためにMax買ったのかな」

 

「まだ21時なのに...」

 

「堂々としすぎじゃね」

 

「Maxを?そのために?」

 

...

 

なんというか、デジタル痴漢に遭遇してしまったということは、軽微ながらも性犯罪に遭ったということで、そんなこと言ってる場合じゃないのは分かっているのだが…

 

正直、すげぇと思った。

感心した。

 

ギンギンになったピンクのマツタケを女に見せつけるためだけに、最低でも13万円くらいはするiPhoneXsMaxをあの男は買っていたのだ。

 

たったそれだけのために、13万円だ。

 

13万円といったら、庶民にしてみたら大金だろう。

 

少なくとも私のような2X歳の平凡な若造にとってみたら、大金だ。

家賃を払って、光熱費を払って、ちょっとおいしいご飯を食べに行っても、まだ余る。

上野に行って動物園と美術館をめぐっても、まだ余る。

私は服も化粧品も安物なので、きっと買える。そして余る。

 

私が1ヶ月暮らして遊ぶのに必要なお金を、あの男はデジタル痴漢をするためだけに費やしていたのだ。

その熱意にはもはや頭が下がる気持ちだ。

 

当然、痴漢は悪いことだ。

許されないし、犯罪だ。

女性だけでなく、男性にも被害者はいるだろうし、悔しい思いをして、それでも言い出せなくて黙っている人も多いだろう。

最低で卑劣な行為である。

 

私も昔は電車の中でアナログ痴漢にあったことが何度もあった。

声は出なくなるし、恐怖で体は動かなくなる。

私の場合は髪を明るくして、ピアスを片耳に3個以上つけるようになってからアナログ痴漢には遭わなくなったが...。 

 

...

 

私も含め被害に遭われている方もたくさんいるのは承知の上だが、それでもすごいと思ってしまったのだ。

 

これが普通のスマホとか、あるいは単なる露出狂とかだったらなんとも思ってない、というか普通に痴漢にあってしまった、と思っているだろう。

 

しかし、彼が持っていたのはiPhoneXsMaxだ。

 

何か一つのことをするために、13万円というお金をつぎこめるだろうか。

(スマホだから普段は普通に使っているのだろうけど...)

 

何かのためにお金を使うということは素晴らしいことだと私は思う。

 

お金をつぎ込んで後戻りができない状況を作り出すことで、人はなにかに取り組むようになるというのを聞いたことがある。

 

思えば私はなにかに一生懸命になったことがあるだろうか。

 

小さい頃にはいろいろ習い事をやらせてもらったように思うが、いずれも続かなかった。

 

勉強にも身が入っていたこともなかったし、専門的な大学に進んだが、特に続いたことは無かった。

 

好きな人に告白できたこともなかったし、付き合ってみても相手のために努力することもできなかった。

 

仕事だって生活のためにやっているだけで、庭から石油が出たら毎日ゴロゴロして過ごすに決まってる。

 

なんて私は怠惰な人間なのだろうか…。

まさか痴漢に自分の人生を省みるきっかけを与えられるとは思ってなかった。

 

熱意は大切だ。

生きる理由になる。

今の私はぬるま湯に浸かっているんじゃないか、そう思った。

 

彼の熱意がもっと別のところに向かうことを祈るばかりだ。

 

 

※痴漢は犯罪です。遭遇したら警察に連絡を。

住むところ

人は生きている以上、どこかに住んでいる。

住みたい街に住んでいる人もいれば、家庭の事情、仕事の都合、あるいは金銭の問題などで本心とは違うところに住んでいる人もいるだろう。

 

私は今住んでいる街は割と気に入っている。

日本でも有数の規模の飲み屋街と、再開発の進んだキレイなエリアが混在している。

加えて交通の要衝ということもあり、高い生活利便も入り交じり、まさにカオスの様相を示している。

私はアルコールにめっぽう弱い、というかまったくアルコールを受け付けない体質なのでこの街の売りである飲み屋街にはほとんど近づけないのだが。

 

そんな街のせいか、本当にいろんな人を見かける。

警察に囲まれて自分の正当性をひたすら主張する全身タトゥーの男、飲み屋街を通学のために普通に通る高校生、臆することなく堂々と買い物をするゲイカップル、何語かわからない言葉で盛り上がるポン引き、車から降りラブホテルに一人で消えていく女、必死で女性を飲みに誘う男...。

今まで住んでた街ではあまり見られなかった人や光景が当たり前のようにあることが私にとっては素晴らしく感じられる。

もっとも、必死にナンパをする男に関しては私も声をかけられ腕まで引っ張られて連れていかれかけたので勘弁してほしいが...。

 

街の様相とそこにいる人々の多様性はある程度比例するように感じる。

以前仕事で永田町に行く用事ができたのだが、そのときの私は髪が緑色でパーカーにジーンズと、到底社会人とは思えない見た目をしていた。

永田町に着いてみると、そこにいるのは男女ともにそのまま結婚式とか行っても大丈夫としか思えない見た目の人ばかり。

ボサボサの緑髪に3000円のパーカーを着ている女は場違いだと、全員が言っているような気持ちになった。

 

地下鉄の駅を出て地上に出るとどうだろう、どこまでも整った見た目のビル、ビル、ビル...。

まるで駅にいた人々のようだ。

私が入っても怒られないようなビルなどなかったし、一刻も早く帰りたかった。

 

仕事を終え、同僚とご飯でも食べて帰ろうと新橋方面を目指しながら飲み屋街に入った。

するとどうだろう、見た目こそさっきまでいた永田町のやつらと変わらないのに、みんなバカみたいに笑ったり、しょーもない話で延々と盛りあがったりしている。

「あ、この人たちも同じ人間なんだな」とその時感じた。

何が違うのかといえば、街が違う。

見た目こそ髪をしっかり整えてスーツやワンピースに身を包んでいるが、その本質は緑髪でパーカーの私となんら変わらないのだった。

 

人の個性を閉じ込めているのは、街だった。

人の中身を引き出しているのも、街だった。

 

多様性のある街は、人の個性を引きずり出してくれる。

抑圧された人間性をさらけ出しても、誰も気にしない。警察くらいだ。

 

だから私は今住んでいる街が好きだ。

もう緑髪ではないが、テキトーにしてても割ととけ込める。

 

住む街を選ぶということは、自分の感性を保ち磨くことにほかならないと思う。